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東京高等裁判所 昭和37年(ネ)1401号 判決 1966年6月27日

控訴人・被告 中央信用金庫

訴訟代理人 刀禰太治郎

被控訴人・原告 国 指定代理人 横山茂晴 外四名

主文

本件控訴を棄却する。

原判決主文第一項を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し、金八十四万四千二十円及び別表記載の金員のうち右金八十四万四千二十円との合計額が金二百万円を超えない限度においてこれを支払え。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人等は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。被控訴人は控訴人に対し金八十四万四千二十円及び原判決添付別表(二)記載の金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人指定代理人等は控訴棄却の判決を求め、なお当審において請求の趣旨を主文第三項記載のとおり訂正した。

当事者双方の主張及び証拠の提出、援用、認否は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

一、控訴人金庫の松戸郁郎に対する払込金の返還が、株式会社シネビジョンに対する弁済とならないとしても、右は民法第四七八条にいわゆる債権の準占有者に対する弁済というべきであるから、同会社の控訴人金庫に対する払込金返還請求権は消滅したといわなければならない。

すなわち本件弁済当時、仮りに株式会社シネビジヨンが未だ成立していなかつたとしても、右は設立中の会社でいわば会社の胎児というべきである。そうして控訴人金庫は設立中の会社の代理人たる松戸郁郎が既に成立した会社の代表取締役であり、真実の受領権者であると信じ、かつそう信じた点につき無過失であつたから、同人に対する弁済は成立した会社自身への弁済としての効力を生ずるものである。控訴人金庫が無過失である点について評論すれば、本件払込金返還に際し、株式会社シネビジヨンより会社設立登記申請書が東京法務局日本橋出張所へ提出された旨の「提出証明書」が控訴人金庫へ提出されたところ、その証明書の裏面には、右出張所の発行した「昭和31・6・28日受付第五二六一号」の受領印のついた受領証が貼付されていたので、控訴人金庫としては既に登記申請が受け付けられた以上、会社は当然成立したものと信じ、かつ前記松戸を既に成立した会社の代表取締役と信じて、払込金を同人に交付したのであつて、控訴人金庫がかく信じたのは極めて無理からぬところであり、この点になんら過失は存在しない。

ところでこの場合弁済当時において、真実の債権者すなわち受領権者である前記会社が未だ成立しておらず不存在であつたことは、民法第四七八条の規定を適用する妨げとなるものではない。なぜなら同条は善意無過失の第三者を保護しようとする規定であるから、たとえ弁済当時真実の債権者が存在していなくても、その後債権者たる資格を備えたうえ、債務の履行を債務者に請求する場合には、既に他へ弁済した善意無過失の債務者は、同条に基づく、主張を以て抗弁となし得るといわなければならない。特に本件の場合、真実の債権者は全く不存在なのではなく、いわば会社の胎児として実在するのであるから、自然人の胎児が特定の場合には既に生まれたものとみなされる場合の精神を類推して、会社が成立した時には弁済当時に遡つて既に成立したもの、すなわち債権者として実在したものと擬制することが、民法第四七八条の法意に合致する。

二、仮りに右主張が理由がないとしても、松戸に対する前記払込金返還により、株式会社シネビジヨンは右払込金額金二百万円相当の利益を受けているから、控訴人金庫の右払込金弁済は、民法第四七九条に基づき会社に対する弁済として有効である。

すなわち株式会社シネビジヨンは、会社成立と同時に松戸より本件払込金二百万円の現実の引渡を受けており、仮りにそうでないとしても、占有改定によりその引渡を受けた。また仮りに右引渡がなかつたとしても、同会社は会社成立直後である昭和三一年七月上旬、松戸個人所有の設備備品、工具及び車輛等を代金二百十四万四千余円を以て買い受け、松戸に対し右代金債務を負担していたところ、松戸が控訴人金庫から受け取つた本件株式払込金二百万円が、そのまま右買受代金債務に充当された結果、同会社は右代金の内金二百万円の支払を免れ、右金額相当の利益を得た。右売買契約の目的物件及び代金額は次のとおりである。

機械、研磨機等    三十七万七千九百円

諸工具        十七万三千三百五十円

電話設備等      九万一千円

工場内配線      二万五千円

車輛(自家用自動車) 百十二万二千九百四十九円

什器、備品、映写機等 三十五万四千三百円

以上合計       二百十四万四千四百九十九円

以上の次第であるから、控訴人金庫の松戸に対する本件払込金の返還は、株式会社シネビジヨンに対する弁済として有効である。

三、仮りに以上の主張が理由がないとしても、株式会社シネビジヨンが成立した数日後である昭和三一年七月一〇日頃、同会社代表者松戸郁郎の使者は、会社の登記簿謄本を控訴人金庫に持参し、その際本件払込金返還請求権を放棄する旨の黙示の意思表示をなした。

仮りにそうでないとしても、同会社はその成立後被控訴人国の本件払込金返還請求権の差押に至るまで、四年間もの長期にわたり一度も本件払込金の返還を要求したことがなく、右は本件払込金返還請求権を黙示的に放棄したものというべきである。なぜなら株式払込金は会社活動の基金たるべきものであり、会社は成立後数ケ月内に少くともその一部を返還請求するのが当然であるにも拘らず、四年間もこれをなさなかつたという不作為の態度自体が、控訴人金庫に対する返還請求権の放棄の黙示の表現であるというべきであり、かく解することが当事者の意思にも合致するのである。そうして債権の放棄を黙示的にもなし得ることは、既に判例の示すところである(大審院明治三九年二月一三日判決、民録一二輯二一三頁)。

四、次に一般に株式払込金返還請求権は、いわゆる行使上の一身専属権であつて、株式払込取扱機関は当該会社に対してのみ払込金返還の責任を負い、第三者に対してはその責任を負わないと解すべきである。従つて控訴人金庫は被控訴人国に対し、本件払込金を返還すべき義務を負わないというべきである。

五、被控訴人国の本訴請求が信義則に違反し、権利の濫用として許されない旨の主張については、さらに次のとおり付加する。

(イ)  課税権の特殊性

被控訴人国の本件請求は、私人の債権に基づくものではなく、国家の公権の一つである課税権に基づくものである。このことが本件における信義則違反の主張に対する判断について、特に重視されなければならない。なぜならば、およそ公法関係における権利義務は相対的なものでしかなく、行政主体の権利は同時に国民の利益のためにこれを行使すべき義務をも包含しているからである。この意味において被控訴人国の本訴請求における課税権の行使は、明らかにその正当な範囲を逸脱し、国民の利益のために行使すべき義務に違背している。被控訴人国が株式会社シネビジヨンに対する徴税を強行するならばともかく、善意の第三者である控訴人金庫の損害において課税権を強行する必要は、公権としての本質上存在しない。本件においては、先ずかかる公権の本質が特に考慮されてしかるべきである。

(ロ)  登記官吏の取扱の違法性

本件における被控訴人国の主張は、株式会社シネビジヨンの設立登記の日の数日の遅れを根拠とするものであるが、右登記申請に際して被控訴人国のとつた措置、すなわち当時行われていたいわゆる仮受付の制度は、明らかに違法であつて、その際の登記官吏の取扱には、次のような違法ないし不当の点がある。

本件登記申請には数箇所に不備があつたのであるから、登記官吏は非訟事件手続法第一五一条によりこれを却下すべきであつたにも拘らずその措置をとらず、またその際受付日付、受付番号のついた受領証(被控訴人のいう仮受付証)を交付し、控訴人金庫のごとき第三者をして登記申請が受理されたと信ぜしめるような事態を生ぜしめた。そうして右のように申請を受け付けた以上、商業登記規則第二五条の趣旨からいつて遅滞なく登記をなすべきであつたにも拘らず、これをなさなかつた。被控訴人国は、以上のように自らなした違法の措置が本件請求の前提であるのに、これを棚に上げて本件請求に及んでいるのである。

(ハ)  なお被控訴人国は、既に昭和三一年当時において株式会社シネビジヨンの資本金として金二百万円が存することを自ら容認していた。すなわち中野税務署員が前記会社の法人税の申告書を作成してやつたことは、控訴人金庫が原審において主張したとおりであるが、その際右申告書には同会社の資本金として金二百万円が計上されている。そうしてこの事実からすると、被控訴人国は同会社により本件株式払込金が受領され、その資本金となつていることを自ら容認していたことが明らかである。

このように被控訴人国において、一旦株式払込金受領の事実を容認しておきながら、本訴において逆に右受領を否認したうえで訴訟を追行するのは、一貫性を欠き到底許さるべきでない。

六、原判決事実摘示における(本訴請求の原因に対する被告の答弁及び主張)のうち、一の(三)及び(四)の主張(原判決原本四枚目裏五行目から五枚目表六行目まで)及び三の相殺の抗弁は撤回する。

(被控訴人の主張)

一、控訴人の前記一の主張については、株式会社シネビジヨンから控訴人金庫に対して提出された「提出証明書」の裏面に東京法務局日本橋出張所の「昭和31・6・28受付第五二六一号」なる受領印の押捺された受領証が貼付されていたことは認めるが、控訴人金庫が無過失であるとの主張は争う、控訴人金庫は右受領証に基づいて前記会社が既に設立されたものと信じたというのであるが、会社は設立登記が現実になされることによつてはじめて成立するのであつて、設立登記の申請の受付によつて成立するのではないし、登記により申請受付の時に遡つて会社が成立したことになるのでもない。

控訴人金庫のような金融機関が、その間の関係を速断誤信したのは、重大な過失というべきである。

二、控訴人主張の前記二の主張事実はいずれも否認する。松戸郁郎は、控訴人金庫から返還を受けた本件払込金を直ちに右金員の貸主に返済しており、これを株式会社シネビジヨンに引き渡していない。

右会社は実質的には、松戸郁郎の個人営業を法人に組織替して設立されたのであり、かつ株金の払込はいわゆる「見せ金」によつて行われた。従つて松戸の個人営業が同会社に譲渡されたもの、いいかえれば個人営業に属する積極消極の全資産が一括して同会社に無償で譲渡されたと考えるべきであつて、控訴人主張のように特定の財産のみが売買されたと見るべきではない。

なお資本充実の原則の観点から見ても、一般的に個人営業を受け継いだからといつて、設立当初の会社の正味資産が資本金額に見合う額に達していたことに当然なる訳のものではなく、資本充実の原則が害される余地が全くないと断定することはできない。特に本件においては、株式会社シネビジヨン設立当初の資産内容の全貌が明らかにされていないばかりでなく、昭和三二年一月二日現在の貸借対照表上、資本金に比し常識的にも納得し難い程多額な金百十四万九千円の設立費用が、会社資金として計上されていることから考えても、同会社の設立当初の正味資産の額が資本金額に達していたか否か甚だ疑わしい。

三、控訴人主張の前記三の事実のうち、株式会社シネビジヨンが控訴人金庫に対し、その主張のように同会社の登記簿謄本を提出したこと、及び会社成立後被控訴人国の本件払込金返還請求権の差押に至るまで、控訴人金庫に払込金の返還請求がなかつたことは不知、右のような事実が返還請求権の黙示の放棄になることは争う。

四、控訴人の前記四の主張は争う。被控訴人国は、前記会社の控訴人金庫に対する本件払込金返還請求権を差し押えてその支払を求めているのであるから、単なる第三者ではない。

五、控訴人の前記五の主張については、(イ)課税権の特殊性に関する主張は争う。被控訴人国が株式会社シネビジヨンに対して有する債権が租税債権であるからといつて、その行使につき私債権の場合以上の制約を受くべき理由はない。(ロ)登記官吏の取扱の違法性についての主張は争う。控訴人は、登記官吏が受領証を交付し第三者をして登記申請が受理されたと信ぜしめるような事態を生ぜしめたというけれども、受領証は申請書を受け取つたことを証明するだけのものであつて(旧商業登記規則第二四条)、右受領証の交付には何の違法もない。また控訴人は、登記官吏としては申請書を受け付けた以上遅滞なく登記すべきであるにも拘らず、これを怠つたというけれども、申請書を受け取れば申請の適否について審査しなければならず、もし不備があれば補正を命ずる訳であるし、また申請が適式であつても事務繁忙の折には現実の登記が若干の期間遅れるのも已むを得ないところである。従つて申請書が受け取られたからといつて、即日登記がなされたものと考える方が誤つている。現に本件においては、前記設立登記申請に不備があつたので補正を命じており、補正が行われて正式に受け付けられたのが昭和三一年七月三日であつたのであるから、申請書を受け取つた日に即日登記を完了しなかつた点については、登記官吏になんら過誤はない。

最後に控訴人の(ハ)の主張についても争う。税務署員が便宜資本金を二百万円とする申告書の作成に協力したからといつて、直ちに税務署として払込株金が現実に会社資産となつたことを認めたことにはならない。

六、原判決事実摘示における被控訴人主張の本訴請求の原因の記載のうち、三の(ロ)(原判決原本三枚目表五行目から八行目まで)を、別表(一)のうち1ないし4、6ないし10、12、21、23ないし26の各本税額に対する各納期の翌日から、昭和三七年三月三一日まで、昭和三七年法律第六七号による改正前の所得税法第五四条、同じく改正前の物品税法第一四条に各規定する金百円につき一日三銭の割合による利子税額、及び昭和三七年四月一日以降完済に至るまで国税通則法附則第六条第一項、第二項に規定する金百円につき一日二銭の割合による延滞税(本判決添附別表記載の金員)。と変更する。

(誤記の訂正)

一、原判決事実摘示における記載中、(被告の抗弁に対する原告の答弁及び主張)の三の一八行目(原判決原本一一枚目表一二行目)に「燈滞なく」とあるのを、「遅滞なく」と訂正する。

二、同じく(反訴請求の原因)一の末行(同原本一二枚目表八行目)の「請求が認容されることを」の次に「条件に」を挿入し、また別表(一)(イ)源泉所得税の9の延滞加算税欄が空欄となつている部分に「三〇〇円」と記入する。

(証拠関係)

控訴人訴訟代理人等は、当審証人小野景義、同山沢正治、同明珍勝男の各証言を援用した。

理由

第一、被控訴人国の本訴請求について

一、昭和三一年六月二八日、控訴人金庫神田支店が株式会社シネビジヨン発起人代表松戸郁郎との間において、株金払込取扱委託契約を締結し、同日右松戸が控訴人金庫に株式払込金として金二百万円を払い込んだこと、控訴人金庫がこれに対し払込金保管証明書を発行したことは、いずれも当事者間に争がない。

そうして当審証人山沢正治の証言により成立を認める甲第一号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正に成立したものと推定すべき甲第三号証によれば、株式会社シネビジヨンが昭和三五年六月四日現在、原判決添附別表(一)記載のとおり国税合計金九十六万二千六百三十九円を滞納していたところ、所轄の中野税務署長において、同日付を以て右滞納者の国税につき国税徴収法の規定に基づいて、株式会社シネビジヨンの控訴人に対する株式払込金返還請求権を差し押え、同月一〇日その旨の債権差押通知書を控訴人金庫に送達したことを認めることができ(右債権差押通知書の送達の点については当事者間に争がない)、他にこの認定に反する証拠は存在しない。右認定の事実によれば、被控訴人国は国税徴収法第六七条第一項の規定に基づき、控訴人金庫に対し本件株式払込金の返還を求め得るというべきである。

二、そこで次に控訴人金庫の弁済の抗弁について考えるのに、昭和三一年六月二九日控訴人金庫が前記松戸郁郎に対し、本件株式払込金二百万円を払い戻したことは当事者間に争がない。そうして控訴人金庫は右弁済は株式会社シネビジヨンに対して効力を生ずる旨主張するが、同会社の設立登記が会社成立の日を昭和三一年七月三日としてなされていることは当事者間に争がなく、他に特段の事情の認められない本件においては、右設立登記は右日時になされたものと推認するのが相当であるから、前記弁済のなされた同年六月二九日当時においては、同会社は未だ成立するに至つていなかつたと認めるほかない。控訴人は、株式会社シネビジヨンの設立登記申請書が所轄の東京法務局日本橋出張所において受け付けられたのは昭和三一年六月二八日であり、従つて同日設立登記がなされるべきであつたのであつて、右受付日に同会社が成立したと解するのが相当である旨主張する。しかし会社は本店所在地において設立登記をなすことによつて成立するのであるから(商法第五七条)仮りに控訴人主張のように設立登記申請書が前記弁済当時既に受け付けられていたとしても、現実に設立登記がなされていなかつた以上、右弁済は会社成立前になされたものというほかない。

ところで控訴人は、前記弁済は株式会社シネビジヨンの創立総会終了後になされたものであるから、これを以て同会社に対抗し得る旨主張する。しかしながら当裁判所もまた株金の払込、保管、払込金の返還及び会社の設立登記手続等に関する商法及び非訟事件手続法中の各規定の趣旨が、株式払込の安全と確実を期し、会社をして払込金の返還を現実に得しめることによつて、会社設立の安固と資本の充実を図る点にあることを考え、株式払込取扱機関はその証明した払込金額を会社成立の時まで保管すべきであつて、成立前に発起人ないし取締役に払込金を返還しても、これをもつて会社に対抗することはできないと解する(最高裁二小昭和三七年三月二日判決。最高民第一六巻三号四二三頁参照)。従つて控訴人金庫としては、会社成立前になされた前記弁済を以て同会社に対抗し得ないというべきである。なお控訴人金庫は、株式会社シネビジヨンには設立後資本金二百万円に相当する財産が存した旨主張するけれども、仮りにそのような事実があつたとしても、その一事をもつて会社成立前の株式払込金の返還が会社に対抗し得ることになるとは解し得ないから、控訴人のこの点に関する主張は、採用することはできない。

三、次に本件弁済が民法第四七八条にいわゆる債権の準占有者に対する弁済として、株式会社シネビジヨンに対して効力を生ずる旨の控訴人の主張について考える。

控訴人は、本件弁済をなすに際し同会社が既に成立しており、松戸郁郎がその代表取締役として本件株式払込金を受領すべき権限を有するものと信じたと主張する。そうして右会社の設立登記申請書が、昭和三一年六月二八日所轄の東京法務局日本橋出張所に提出されたことは当事者間に争がなく、いずれも成立に争のない甲第九号証、乙第一号証の一、二、同第八号証並びに原審証人黒木学、原審及び当審証人明珍勝男(但し後記採用しない部分を除く)の各証言によれば、「前記設立登記申請書の提出を受けた東京法務局日本橋出張所は、当時同出張所において慣行として行われていたいわゆる仮受付制度によつてこれを処理した。すなわち同出張所の受付係は右設立登記申請書を仮受付して受付印を押捺し、設立手続の一切を松戸から委任された申請代理人であり、株式会社シネビジヨンの監査役でもある計理士明珍勝男の使用人に対し、東京法務局日本橋出張所が昭和三一年六月二八日第五二六一号を以て受け付けた旨表示した受付印を押捺した紙片(乙第一号証の二)を交付したうえ、これを調査係に回付した。その後調査係において右申請につき調査したところ不備があつたので、これを補正せしめたうえ同年七月三日法今にいう正規の受付にあたるいわゆる本受付をなして、申請書に同日第二〇六四二号を以て受け付けた旨を表示した受付印(角印)を押捺し、前記当事者間に争ない事実のとおり、同日付を以て株式会社シネビジヨンの設立登記をなした。一方申請代理人の明珍勝男は、同会社の設立登記申請書が昭和三一年六月二八日付を以て、管轄登記所である前記日本橋出張所宛提出され、その手続一切が完了したことを証明する旨の同人名義の「設立登記申請書提出証明」と題する書面(乙第一号証の一)を作成し、これに出張所から交付を受けた前記受付印を押捺した紙片(乙第一号証の二)を貼付したうえ、株式払込取扱機関として払込金を保管していた控訴人金庫神田支店に提出し、本件株式払込金の返還を受けた。」以上の事実を認めることができる。原審及び当審証人明珍勝男の証言中右認定に反する部分は採用せず、他にこの認定を左右するような証拠は存在しない。

以上認定の事実によつて考えるのに、控訴人金庫は株式会社シネビジヨンが既に成立しており、松戸郁郎がその代表取締役の地位にあるものと信じたというけれども、その根拠とする書類のうち、前記「設立登記申請書提出証明」と題する書面(乙第一号証の一)は、同会社の申請代理人たる地位にあるに過ぎない明珍勝男の作成にかかる書面であり、またその内容も前記のとおりであつて、その文面からいうと、同会社の設立登記申請書が管轄登記所に提出済であることはともかくとして、右申請が却下されることなく設立登記の完了に至つたことまでを、これにより断定することはできないものと思われる。また東京法務局日本橋出張所から交付を受けた前記受付印を押捺した紙片(乙第一号証の二)にしても、右のような事実を断定する資料となり得ないことは同様であるし、またこれによれば、一応前記会社の設立登記申請書が、管轄登記所である前記日本橋出張所において受け付けられたように見えないではないが右日本橋出張所において、その当時前記のようないわゆる仮受付制度が慣行として行われていたことは既に認定したとおりであり、それが適法なものか否かは別としてこのような制度が同出張所において行われている事実は、金融機関であり信用金庫法第五三条第四項、商法第一七五条第二項第一〇号により株式払込取扱機関としての業務を行う控訴人金庫として、ことに右日本橋出張所と場所的にも近接した区域内に所存する控訴人金庫神田支店としては、これを知り得る機会も多いことであろうし、仮りに知らなかつたとしても前記のような日本橋出張所の受付印を押捺した紙片が提出されたからといつて、直ちに設立登記申請書に対し法令にいう正規の受付であるいわゆる本受付がなされ、申請が却下されることなく設立登記が既に完了したものと即断したというのは首肯し難いところである。もし仮りに控訴人金庫神田支店がそのように即断したものとすれば、株式払込取扱機関としては過失があつたものといわざるを得ない。また松戸郁郎が株式会社シネビジヨンの代表取締役として、本件株式払込金の受領権限を有するとの点について、控訴人金庫神田支店がどのような資料に基づいてこれを確認したのか、本件における全立証によつても認定することはできない。以上要するに、株式会社シネビジヨンの登記簿謄本等、同会社の設立が完了していること及びその代表権限を有する者が何人であるか等の確認に必要な資料によることなく、控訴人金庫主張のような資料のみにより、同会社が既に成立しており、松戸郁郎がその代表者の地位にあるものと信じたとの控訴人金庫の主張は、未だこれを認めるに十分な証拠が存在するとはいい難く、仮りに控訴人金庫がそのように信じたとしても、その点については過失があつたというべきである。原審及び当審証人明珍勝男の証言中、当時一般の銀行において控訴人金庫主張のような書類を提出すれば株式払込金を返還する慣行であつたとの部分は採用せず、他に右認定を左右するような証拠は存在しない。従つて控訴人金庫の債権の準占有者に対する弁済の主張は、他の点について判断するまでもなくその理由のないことが明らかであるから、これを採用することはできない。

四、次に松戸に対する本件弁済により、株式会社シネビジヨンが右払込金額金二百万円相当の利益を受けたとの主張について考える。成立に争のない乙第二号証、同第四号証の一並びに原審証人松戸郁郎、同持田孝助、原審及び当審証人明珍勝男(但し後記採用しない部分を除く)の各証言を総合すれば、「株式会社シネビジヨンは、レンズ、映写機その他の販売等を目的として設立された会社であるが、もともと松戸郁郎の個人営業を株式会社に組織変更する目的で設立されたのであり、松戸は前記のとおりその設立手続の一切を友人である明珍勝男に委ね、自身は一切これに関与しなかつた。そうして同会社の資本の額は一応金二百万円と定められてはいたが、株式の払込もすべて見せ金によつて行われ、明珍が控訴人金庫から返還を受けた本件株式払込金も、直ちに借入先に弁済されたのであつて、創立総会も現実には開かれなかつた。そうして松戸が従来その営業に使用して来た同人所有の機械、工具、設備、車両等は、そのまま株式会社シネビジヨンの営業に使用することとされ、書類上は控訴人金庫主張の機械、研磨機等、諸工具、電話設備、工場内配線、車両(自家用自動車)及び什器、備品、映写機等を、控訴人金庫主張の価額合計金二百十四万四千四百九十九円を以て、昭和三一年七月同会社が買い入れたようになつているが、それもそのように形式を整えたまでであつて、正式に売買契約が締結された訳でもない(その価格についても当審証人明珍勝男の証言中に同人が松戸とともにこれを査定したとの供述があるけれども、その評価が適正に行われたことを認めるに足りる証拠もない)。」以上のとおり認めることができる。原審及び当審証人明珍勝男の証言中右認定に反する部分は採用せず、他にこの認定を左右するような証拠は存在しない。右認定の事実によつて考えるのに、株式会社シネビジヨンが、会社成立と同時に松戸から本件株式払込金二百万円の現実の引渡ないし占有改定による引渡を受けたとの控訴人主張事実は、これを認めることができないのはいうまでもなく、控訴人金庫から払い戻された本件株式払込金二百万円が、株式会社シネビジヨンの松戸に対する売買代金債務に充当されたとの主張事実もまた認めることはできない。従つてこの点に関する控訴人の主張は採用することができない。

五、次に株式会社シネビジヨンが本件株式払込金返還請求権を放棄したとの控訴人の主張について判断するのに、成立に争のない乙第二号証並びに当審証人小野景義の証言によれば、株式会社シネビジヨンの成立後である昭和三一年七月一〇日頃、同会社の事務員が、同会社の登記簿謄本を控訴人金庫神田支店に持参して提出したことを認めることができる。しかし右の一事を以て、株式会社シネビジヨンが控訴人金庫に対する本件株式払込金返還請求権を放棄する旨の黙示の意思表示をしたと認めることができないのはいうまでもないし、前掲証拠によつても右のような意思表示がなされたと認めるには足らず、他にこれを認めさせるような証拠は存在しない。

また控訴人主張のように、株式会社シネビジヨンにおいて、その成立後被控訴人国の本件株式払込金返還請求権の差押に至るまで、約四年間にわたり本件払込金の返還を請求したことがないとしても、その一事を以て同会社が本件株式払込金返還請求権を黙示的に放棄したものと解することはできないし、その他同会社において右放棄をなしたものと解するのを相当とするような事実を認むべき証拠は存在しない。

六、次に控訴人は、一般に株式払込金返還請求権はいわゆる行使上の一身専属権と解すべきであるから、控訴人金庫は第三者である被控訴人国に対し、右返還義務を負わない旨主張する。しかし株式払込金返還請求権をいわゆる行使上の一身専属権と解すべき根拠はないから、控訴人主張は採用できない。

七、最後に被控訴人国の本訴請求が信義則に違反し、権利の濫用として許されない旨の控訴人の主張について、まず控訴人は課税権の特殊性を強調するが、本訴請求が滞納者株式会社シネビジヨンに対する国税徴収のためなされた債権差押に基づくものであることは、前記のとおりであるけれども、だからといつて前記及び後記設定のような事情の下においては、本訴請求が信義則に違反し、権利の濫用であるとすることはできない。

次に控訴人は、株式会社シネビジヨンの設立登記申請に対する登記官吏の取扱の違法性を主張し、前記認定にかかるいわゆる仮受付制度が法令の根拠に基づかない違法のものであることは、後記のとおりであるけれども、右会社の設立登記がなされるに至つた経過及び松戸に対する本件株式払込金の払戻がなされた事情についての前記認定の諸事実ことに控訴人金庫が払戻につき無過失と認めることができないこと等を考慮するときは、本訴請求が信義則に違背するとか、権利の濫用であるとは未だ認め難い。

また株式会社シネビジヨンの法人税の申告書を、所轄の中野税務署員が依頼により作成していることは、当事者間に争がないが、控訴人主張のように、右申告書に同会社の資本金として金二百万円の記載があつたとしても、それだからといつて被控訴人国として本件株式払込金が同会社によつて受領され、その資本となつていることを自ら容認していたとは解せられないから、控訴人の主張はそれ自体理由がない。

なお控訴人金庫は、被控訴人国において株式会社シネビジヨン所有の不動産が存在することを知悉しながら、これに対する滞納処分の手続をとることを怠つたとして、これを本訴請求が信義則違背、権利の濫用であるとする事由の一つとしているが、当裁判所もまた右主張は採用するに値しないと考えるものであり、その理由はこの点に関する原判決の理由と同一であるから、原判決理由欄の記載中の当該部分(原判決原本一八枚目裏八行目から一九枚目裏九行目まで)をここに引用する。

以上の次第で、被控訴人国の本訴請求が信義則に違背し権利の濫用であるとする控訴人の主張は、すべて理由がなく、その他右主張を肯認させるような事実を認むべき証拠は存在しない。

八、従つて被控訴人国より控訴人金庫に対し、本件株式払込金返還請求権のうち金八十四万四千二十円及び別表記載の被控訴人主張にかかる利子税及び延滞税額中右金八十四万四千二十円との合計額が金二百万円を超えない限度においてその支払を求める本訴請求は、その理由があるから正当としてこれを認容すべきである。

第二、控訴人金庫の反訴請求について

昭和三一年六月二八日、控訴人金庫神田支店が株式会社シネビジヨン発起人代表松戸郁郎との間において、株式払込取扱委託契約を締結し、同日右松戸が控訴人金庫に株式払込金として金二百万円を払い込んだこと、控訴人金庫がこれに対し払込金保管証明書を発行したこと、昭和三一年六月二九日控訴人金庫が前記松戸郁郎に対し、右株式払込金二百万円を払い戻したことは、前記第一判示のとおりいずれも当事者間に争がない。そうして右弁済が株式会社シネビジヨンに対し、従つて被控訴人国に対しても対抗し得ないものであることもまた、右本訴請求に対する判断において判示したとおりであり、本件滞納処分による差押によつて控訴人が国に対し本訴株式払込金の支払を免れないこととなる結果控訴人金庫に本訴請求金額相当の損害が生ずるに至るものというべきである。そうして株式会社シネビジヨンの設立登記申請書が、昭和三一年六月二八日所轄の東京法務局日本橋出張所に提出されたことは、前記のとおり当事者間に争がないところ、控訴人金庫は、同出張所は右提出の日に申請書を受け付けたのであるから、非訟事件手続法第一五一条により申請却下の処分がなされない限り、登記官吏は右申請書を受け付けた日の日付をもつて登記をなすべき旨主張する。そうして右設立登記申請に対する東京法務局日本橋出張所の処理手続は、本訴請求に対する判断中において判示したとおりであるが、同出張所は右設立登記申請書の提出に対し、当時同出張所において慣行として行われていたいわゆる仮受付制度によつてこれを処理し、旧商業登記規則(昭和二六年六月二九日法務府令第一一二号)第二三条所定の正規の受付をなさずにいわゆる仮受付をなした。そうしてそのうえで申請書の調査をしたところ不備があつたので、その補正をなさしめたうえ同年七月三日前記規定にいわゆる受付にあたる本受付をし、同日付を以て株式会社シネビジヨンの設立登記をしたのである。ところで一般に登記官吏は、不動産登記であると商業登記であるとに拘らず、登記の申請書の提出があつたときは、法令の定めるところに従い直ちにこれを受け付けるべきであつて、仮りに申請書になんらかの不備があつたとしても、受付の手続をしないことは許されないところである(不動産登記法第四七条第一項旧商業登記規則第二三条、なお昭和二九年九月一六日法務省民事局長通達民事甲第一九二八号参照)。従前一部の登記所において行われていたいわゆる仮受付の制度は、登記の申請書の提出があつても、直ちに正規の受付の手続をとることなく、申請書の調査をなし登記の申請の不備の補正がなされた段階で受付帳への記載等前記諸規定の定める受付の手続をとり、その時点で受付の効果が生ずるものとするのであるが、このような取扱は、登記申請になんらかの不備がある場合に、申請書に貼用された印紙を消印しないまま返還することができるという当事者の便宜をはかることが一因となつて生じたものであるとしても、前記各規定に違背する違法のものといわざるを得ない。なぜなら不動産登記はもちろん、商業登記も例えば会社の代表者に関する登記のような対抗力あるいは会社の設立登記のような形成力等を有するのであるから、当該登記がなされたか否か及びその順序は法律上重要な意義を有する。しかるに仮受付の制度によるときは、登記申請につき果して前記法令にいう受付がなされているか否か、なされているとしても何時なされたのかが客観的に明確でないし、従つて登記申請相互間の受付順位の保障(旧商業登記規則第二五条参照)もなされないことになる。もつとも仮受付の制度においても、いわゆる仮受付の際に受付番号が付され、その順序に従つて登記がなされるのが一般ではあるけれども、仮受付が旧商業登記規則第二三条にいう受付ではないとする以上、同規則第二五条の登記の順序の保障もまたないといわなければならない。

以上に述べたところから明らかなとおり、株式会社シネビジヨンの設立登記申請に対し、東京法務局日本橋出張所係員がとつた受付手続は違法であり、右申請書はそれが提出された昭和三一年六月二八日に正規の受付の手続をとられるべきであつたのである。しかしながら、だからといつて右設立登記が直ちに同日中になされなければならなかつたとか、受付の日の日付を以てなされなければならなかつたというような結論が導かれるものとはいえない。何故なら仮りに右設立登記申請書が直ちに受け付けられたとしても、右申請に不備がありそれが直ちには補正されなかつたことは前記認定のとおりであるから、右申請にかかる設立登記は未だこれをなし得る状態にはなかつたのであり、むしろその補正がなされない限り却下さるべき運命にあつたのである。従つていずれにしても、右設立登記は申請書提出の日になされるべきものであつたということはできないし、その他本件において申請の不備の補正がなされた後なんら正当の理由がなく登記がなされないまま放置されていたような事実を認むべき証拠はない。また後に申請の不備が補正され、登記をなすべき段階に立ち至つたとしても、商業登記をなすときはいずれの欄に登記をするときでも登記の年月日を記載すべきであつたのであつて(旧商業登記規則第二六条ないし第二八条)、申請書受付の年月日を記載すべきではないから、本件設立登記が申請書の提出された昭和三一年六月二八日付を以てなされなかつたことについては、なんら違法はない。

また控訴人金庫は、東京法務局日本橋出張所の係員において、本件設立登記申請書を仮受付しながら、仮受付である旨を表示せず、第三者をして右申請書が正規に受理されたものと信ぜしめるような受付証を交付したことはその過失である旨主張する。そうして右出張所の係員において、本件設立登記申請書を仮受付した際、同出張所が昭和三一年六月二八日第五二六一号を以て受け付けた旨表示した受付印を押捺した紙片(乙第一号証の二)を交付し、右紙片が本件株式払込金の払戻の際控訴人金庫に提出されたことは、前記認定のとおりである。そうして本件設立登記申請書につきなされた仮受付の制度が違法であることもまた前記のとおりであるが、東京法務局日本橋出張所の係員において、本件設立登記申請書につきいわゆる仮受付をしながら、必ずしもそのことが記載自体からは明確でなく、正規の受付の場合と紛らわしい前記受付印を押捺した紙片を交付した行為は、少くとも妥当なものということはできないけれども、登記申請書が管轄登記所に提出されて受け付けられたとしても、申請が不適法として却下されることもあり得るのであるし、そうでなくても申請の不備の補正のため直ちに登記がなされるとは限らないのであるから、右のような紙片が提出されたからといつて、それだけでは直ちに株式会社シネビジヨンの設立登記が完了し、しかも松戸郁郎がその代表者の地位を取得したものと解することはできない筈であるし、まして金融機関であり株式払込取扱機関である控訴人金庫として、またことにその神田支店として、前記日本橋出張所において仮受付の制度が慣行として行われていることを知り得る機会も多かつたものと考えられることが、前記のとおりである本件においては、このような紙片が提出されたからといつて、それに基づき株式払込金の払戻がなされることは通常の場合には予想し得ないところというべきである。従つて登記官吏のなした右受付印を押捺した紙片の交付と、本件株式払込金の払戻との間には、相当因果関係が存在すると解することはできず、その他右相当因果関係の存在を肯認させるような事実を認めさせる証拠は存在しない。従つて控訴人金庫の反訴請求は、その他の点について判断するまでもなく、失当として棄却を免れない。

第三、結論

以上の次第で、本件控訴はその理由のないことが明らかであるから、失当としてこれを棄却することとし、なお被控訴人国は当審において請求の趣旨を主文第三項記載のとおり訂正したからその旨を明らかにし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高井常太郎 裁判官 中川哲男 裁判官 藤田耕三)

別表<省略>

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